sorairokisetsu


offline -同人活動-

Reality & Border

サンプル1

 ねぇ、女同士の恋愛に興味はない?
 そう言って、言葉をかけてきたのが二年前の事で、初めは当惑の連続だったのだが、今では水浦綾子も倉岡恵の事を好きになっていた。
 別に、男の人に興味がない訳じゃない。でも、今は恵の事が好きな気持ちで一杯なんだ。だから別に男の人にはまだ恋愛感情を持たないでいる、と綾子は思っているのだ。
 二月になり、大学入試を目前に控えているこの時期。綾子も恵も勉強で大忙しで、予備校にぎりぎりまで通い大学合格を確実にしようと必死だった。
 ただし、この二人は合格ほぼ間違いはないのだが。
「恵ちゃん、待ったー?」
「ううん、今来たところ」
 予備校に通うために学校が終わり一度別れてから、予備校がある駅前で合流するのがいつもの流れで今日も例外に漏れない。
 空は暗く雑踏もまだ数多く、雪が積もることが少ないこの都会と言えど寒さに厳しいことは変わりなく、もうじき訪れるだろう春への思いが一層強くなりつつある。恵も綾子もそれは肌身に感じているのだろう。
「恵ちゃん、勉強の調子はどう?」
「私? 私は順調、かな」
 後ろで一つに縛った短めの髪が恵の性格を表している。下ろせば精々、肩に掛かるか掛からないか程度の長さの髪。
 綾子も似たようなもので肩より少し下程度の長さで、癖のある髪質なのか所々、ピンピンと跳ねている辺りが愛嬌を醸し出している。ただしっかりと手入れは行き届いているのだが。
「そっか。もう少しで入試なんだから、追い上げないとね」
「と言っても、私たちはそんなに心配する必要性は無いと思うよ。それに、綾子が心配しても全く同情なんて引きませーん」
 黒のブレザーに白いカーディガンが暗闇でも視認しやすく、合わせてワイシャツの袖もそれを助長している。オーバーニーソックスを穿いているとは言えども、二月のこの時期に少し薄着なのは着ている本人達も認識しているようだ。
「べ、別に同情なんて引く気は…」
「良く言うわよね。学年トップスリーの学力持ちめー」
 有名な私立中学から来たと言う綾子は、恵と同じ学校に通い、学力としては十二分の実力を持っていた。
「それは…そうだけど」
「もっとも。私も綾子にそのおかげで助けられているんだからあまり文句が言えないのよね、残念」
 軽い口調が多い恵と、根が真面目なんだろう綾子の二人はいつも会話の中で何度も攻守逆転をする。恵が優勢かと思えば次に綾子、また恵に戻ったりと忙しく切り替わる。
「それに、未だに学校に行く理由だって実際ほとんど無いんだけどね」
 自由登校になり、その大半を学校へ登校して先生に勉強を教わる、と言う大義名分に使われている。単にこの二人は人が少ない学校でいちゃつきたいだけなんだろう。
「ねぇねぇ、今日つけていたコロンは何?」
 綾子が恵にそう問いかけると、恵は嬉しそうに言葉を返した。
「あれはね、シャティーナの新作だよ」
 恵の周りにはいつも甘い香りが包んでいた。綾子はもちろんその香りも好きで、同じ会社の香水をつけていることから、仲の良さが単純に伺える。
「メインが二十三番で、サブが四十八番」
 シャティーナとは、自社製品を市場に回せるほど大きな会社ではなく、精々社員合わせて十数名の零細企業で、平均年齢もまだ二十代中盤、若い人は二十歳を切る。それでも、一部の高校生や大学生からは根強い人気を持っている。
 その最たる理由が、調香師によるオリジナルの香水だろう。顧客からの要求に対して、数種類少量作成して選んで貰う。そのサービスが女性からは人気度が高い。
「となると、今回は軽めなんだ」
「そ。前の三十番台同士は失敗だったよ。ちょっときつかったからね。その反省で今回は軽め」
 綾子は、重い香水の香りは苦手だった。恵の香りに関しては特にどうと言うことは無いのだが、他の人に対してはどうしても嫌悪感が先に行ってしまう。
「綾子は、スカッとしたミント系とか良いと思うけど?」
「そう?」
 並んで歩く夜の街、時折吹き抜ける風が肌に突き刺さり、身体の震えを誘い吐く息を白く変える。
「今度、一緒に選んでくれないかな、恵ちゃん」
「んー時間を見て、だね。とりあえず良いよ」
 勉強をすると言っても、綾子も恵もいちゃつくことがメインなので、内容としてはほとんど勉強をしていない事になる。そして、互いに香水をつけたままでいると相手に香りが移ってしまうことがある。綾子はそれが好きでわざと、強めにしている節がある。
「今日の先生って誰だっけ?」
「んっと、月詩先生だね」
 並んで入る予備校の入り口脇、今日の学科と担任である先生の名前がホワイトボードに書かれている。
 他にも何人か同じ授業を受けるために来ているのだろう生徒の姿が見える。男女の比率としては、男子が少し多めなのだが、それは女性の先生だからと言う理由も含まれているのが目に見えて解る。
「こんばんは、先生」
「あっ、こんばんは」
 流れる長い髪を見て綾子も恵も小さく感嘆の声を上げる。
「やっぱり、綺麗だね」
「私もそこそこ長いと思うけど、先生はもっとだもんね」
 さらっとした髪質を見ては、毎回羨望の気持ちがわき上がってくる。恵も綾子も二人の髪の長さを合わせても恐らく追いつかないだろうから。
 いつもの位置に並んで座る恵と綾子。同じ部屋の中には二十人程の生徒達があちらこちらに座っており、時間までこうして雑談を繰り返している。
「綾子、明日は、どうする?」
「そう言えば、そろそろバレンタインだっけ」
 こんな時期だと言う事をすっかり忘れていた、と言う様子で恵の問いかけに答えたが、恵はにんまりと笑いつつ綾子に言葉を返した。
「私は、別にバレンタインの話じゃなく、明日のことを聞いたんだけどなぁ」
「そ、それは、いやそう言う時期だなって思い出しただけで」
 忘れていたと言う演技を容易く見抜かれて顔を赤くする綾子に、恵は更に追撃を繰り出した。
「それとも、綾子は私からのチョコが欲しかったのかな?」
 鼻先数センチの距離を挟んで顔が向き合う。綾子が頬を更に赤くして、慌てているのをほくそ笑んで見ている恵。
「あはは、綾子はわかりやすいわね」
 顔が離れると、内心残念な気持ちを抑えてしまう綾子は、次の言葉を模索してどう反撃しようかと考えた。
「チョコじゃなくても、恵自身でも私は良いけども?」
 今度は恵が顔を赤くする番だったようで、互いの攻守が入れ替わっていた。

サンプル2

 ホラー映画史上一位の興行収入をたたき出す映画よりも、世界の文学史に残ると言われるミステリー作品よりも、“ちお”の怒った顔よりも怖い音から少し遅れて、「あー!」という声が学生ホールに響き渡った。
「だからこまめに保存しなさいって言ってるのに」
「だってー」
 自動バックアップで十分ぐらい前の状態までは復元できるだろうけど、今は何よりその十分がもったいなかった。画面右下の時計は〈23:35〉という時間を示している。そこまで確認をしてから初めてちおの方を向くと、彼女はただ黙って画面を見ながらマウスを動かしていた。きっと、自動バックアップからファイルを復元している所なんだと思う。
「大丈夫そう?」
「うん。なんとか」
「よかったね」
「本当だよー。レポート提出したらお店に持っていかないと」
 復旧作業が終わったのか、ちおは私の方を見て口で笑い眉で困って見せる。そしてノートパソコンの左側に置いてあるコーヒーの缶を手に取ると、口へと運んだ。缶と一緒に頭を後ろに傾けたとき、彼女の揺るさやかな曲線を描く髪が後ろに垂れる。
「そんなに見てどうしたの? 欲しい?」
「じ、自分のがあるからいい」
 突然声を掛けられて動揺してしまったのがそのまま音になって出てしまった。思わず私も側に置いてある缶コーヒーに手を伸ばし、勢いよく飲む。開けたばかりのホットコーヒーが勢いよく喉に流れ込んできて、思わず噎せ返ってしまう。
「大丈夫?」
 目頭になにやら冷たいものを感じながらも私は「大丈夫」と答えた。
「みっちゃんのあわてんぼー」
 にこー≠ニいう文字が顔の周りに幾つか浮かび上がりそうな顔でちおが柔らかく言う。そんな彼女の表情に、顔も喉もどうやって動かしていいか分からなくなり、私は仕方が無く「馬、鹿」と苦し紛れに言った。
 そんな恥ずかしさを押し隠すかのようにすぐにキーボードに手を伸ばす。ページ数を確認しようと画面の下に目を向けると、〈15/15〉と表示されていた。レポートの提出要件は十ページ以上。すでに十分規定を超えている。それでも、あと数ページは書けそうだ。もちろん、長さが重要なわけではない。ただ、自分の言いたいことを言うためにはこれだけのページ数になってしまったのだから仕方がない。苦労してもいい。集めた資料を活かすために私は…私達は書き続けていた。
 元々は私が言い出したことだ。ただ単に先生に、

  *

「これじゃあ、プレゼンテーションの意味が無いじゃないか。もう少し自分の言いたいことを明確に、そしてその言いたいことを補強するための資料をもっと集めろ」
 私の発表が終わると先生は真っ先にそう言った。自分でも分かっていることだった。時間がないとかそういうのは完全に言い訳で、全て自分が悪いと言うことは十分実感していた。でも、真っ正面からそこを指摘されると、なんとなく反抗心というのが沸き上がってくる。だから私は席に戻ると同時に、隣のちおに向かって、
「絶対見返してやる」
 と宣言した。
「みっちゃんは、そういうところが可愛いよね」
 少しの間を開け、ふ、と、呟くように

  *

 ちおが言ったことを思いだし、私の手は自然と止まった。頬が熱いのはホットコーヒーを飲んだせいだ。そう思いたい。
「頬赤いよ? 熱いの?」
「うーん、そうかも」
 そういうことにしたい。
「こんなにエアコンが効いているのに寒くないなんて凄いよ」
 そう言いながら、ずり下がっていたリリー・ホワイト色のストールを肩に羽織り直す。ストールの下に追いやられた髪を首の後ろに両手を入れながら掻き出すところを見ていると、さらさらと音が聞こえてきたような気がした。
「そういえば、コーヒーもホットだしね」
「別にこれはただ…アイスコーヒーのあの独特の苦みが嫌なだけで…」
「変なのー。ブラックコーヒーなんか普段からいっぱい飲んでるのに、アイスコーヒーは苦手だなんて」
「仕方が無いじゃない。そんなことよりほら、レポート、レポート」
「はーい」
 普段より随分と低い声でそういったかと思うと、口を尖らせながらキーボードを叩く作業に戻った。もう少し休憩がてら話をした方が良かったか。そんな後悔も今更声を掛けて話を始めて払拭する事も出来ず、私はまたコーヒーを口に含んだ。ぬるくなってしまって、元がホットだったのかアイスだったのか分からなくなったコーヒーの缶を右手に持ったまま、ちおのコーヒーに目を向ける。誇らしげな〈生乳50%〉という文字は、それがコーヒー≠ニ名乗っていることに違和感すら覚えさせる。しかし同時に、その文字はちおに似合っていた。
 真っ正面から向かい合ったら私の目に映るのは彼女の目ではなく頭、二の腕を比べあったら一回りも二回りも細い、何よりも指先の線の薄さはどうあがいても自分には手に入れられないものだ。こんな妹がいたら彼氏を連れてきたときに「お前の所の嫁にはやらん!」と言いながら、敷居をまたごうとする男の足をヒールで踏みにじってしまうと思う。天然と言うゆるく波打った艶やかな黒髪に―――
彼女の目が視界に入った途端、普段とは違うその目元に私は驚いた。笑った顔がよく似合う、角のない輪郭に目頭と目尻。そんな顔のちおが、ただ一心に画面を見つめていた。今まで見たことがない表情だった。違う。もしかしたら、心揺れるからと意図的に避けてきた表情だったのかも知れない。引き締まった表情に、機敏に動く瞳。指先が優しくキーを撫でる度に軽快な音が辺りに響く。そのリズムは追いつけるはずもない私の鼓動を少しずつ早めていった。
「やろう」
 わざとらしく声に出して、私は彼女から目を離した。


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